大学院留学記 in New York

コロンビア大学の修士課程でメンタルヘルス・カウンセリングを学んでいます。

1ヶ月続いた燃え尽き症候群(2016年3月〜4月回想録)

 出願準備の終盤から、十中八九落ちるだろうなあと思ってはいたのですが、それでも実際に落ちてみるとものすごく落ち込みました。たった2ヶ月の戦いでしたが燃え尽きてしまい、来年の出願に向けて動き出す気持ちになれませんでした。ちょうどその頃、仕事がどんどん忙しくなっていったので、それを口実にして大学院のことは考えないようにしていました。

 

 私は当時の仕事が好きでした。自分の適性に合っていたし、上司や同僚からも評価されている実感がありました。しかし一生かけてやりたい仕事とは思っていませんでした。時間的制約と体力的負担が大きかったため、子供ができたときに続けられそうにないと感じていたという面もあります。そして何よりも、やっぱり私はメンタルヘルス・カウンセラーになりたいのです。大学院のことを諦める気持ちは全くありません。しかし出願準備という現実を再び直視するのは気が重かったため、一日の大半の時間を仕事に費やし、家に帰ると疲れて何も考えずに眠る、という生活に甘んじていました。そうして不合格通知を受け取ってからの1ヶ月ほどを、のらりくらりと過ごしました。

 

 4月中旬に差し掛かると、徐々に焦りを感じ始めました。考えてみれば、もう次の出願までに9ヶ月もないのです。だいぶ燃え尽き症候群からも立ち直り、そろそろ準備を再開しようと心が動き始めます。さて何から始めたらよいものか……。

不合格の通知(2016年3月回想録)

 出願書類を提出してからはなるべく大学院のことを考えないようにして過ごしていました。たぶん落ちたろうなあ、と思っていました。それなら来年の受験に向けて始動すればよさそうなものですが、そんなふうには体も心も動きませんでした。会社では新しいプロジェクトが立ち上がったりもして刺激があったので、そちらの方で気持ちを紛らわせていました。ネットで検索すれば、大体いつくらいに、どのような形式で(メール/郵便/電話)、結果が通知されるかくらい調べられますが、私にはその気力すら残っていませんでした。

 

 3月18日金曜日の会社帰り、プラットホームで電車を待っているとき、手持ち無沙汰でなんとなくメールを開きました。件名欄に “NYU Application Status”の文字。ニューヨーク大学(NYU)からの結果通知です。目が泳いでしまい、文章を上から読むことができませんでしたが、すぐに “It is with regret…” “cannot offer…” “our decision may be disappointing”というネガティブな言葉ばかりが目に飛び込んできます。ああ、終わったんだなあ。心が真空状態になって、何も感じることができず、しばらくぼんやりと立っていましたが、プラットホームに電車が近づき、辺りが騒音に包まれたとき、夫の顔が浮かんでつと涙がこぼれました。ごめんね、私ならできるって本気で信じて、本気で応援してくれてたのに…。車内に席を見つけて座り、束ねていた髪をほどいてうつむきました。涙は止まらなくなり、鼻水まで出てくるけれど、ハンカチを持っていなかったので本当に困ってしまいます。

 

 この感覚、なんかどこかで経験したなあ…。それは大学受験に失敗した、私が18歳のときのことでした。合格発表当日、母に伴われて掲示板を見に行きました。人ごみをかき分けて一生懸命自分の受験番号を探すけれど見つかりません。ごめんね、こんなに応援してくれたのに......ショックのあまり言葉にできませんでしたが、私が一番に思ったのは、応援してくれた母に申し訳ないということ。もう母の顔を見ることができず、私は独りで帰宅しました。

 

 今振り返ると、2年前の私、高校生だった私が不憫でなりません。ものすごく努力したのに不合格で、一番傷ついたのは私自身のはずなのに、その気持ちを抱きしめ、癒してやることができませんでした。自分のことを大切な存在だと思えていなかったから、いつも自分を二の次にしてしまい、周りの人のことばかり気にしてしまっていたのです。日本では「自分のことより周りの人を優先する」ということが美徳のように語られることがありますが(以前の私もそう思っていました)、心理について少し学んだ今は、それがとても人を生き辛くする発想だということに気が付きました。きちんと自分の悲しみに向き合ってやらなければ、その悲しみは癒えることなく、澱のように静かに蓄積していきます。それがあるとき限界を超えると、最愛の人に怒りというかたちでぶちまけてしまったり、心身の不調として表に出て来てしまい、楽しい毎日を送れなくなってしまうのです。自分をまず大切にしたら自ずと周りの人も大切にできるはず。「自分が大切」が、しなやかで美しい心のもち方だと今の私は考えています。

 

 話がだいぶそれてしまいましたが、こうして私の1年目の受験は幕を閉じました。まだコロンビア大学からは通知が来てませんでしたが、落ちていることを確信していました。第一回目の締め切りに間に合わせることができなかった上、supplemental applicationはネイティブのチェックも受けずに提出してしまったためです(下記添付の過去記事 "出願プロセスの落とし穴"参照)。数日後、同校から「TOEFLのスコアが100点を超えていないので、これ以上先の審査を進めることができません」という内容のメールが届きました。

 

mentalhealthcounseling.hatenablog.com

 

出願プロセスの落とし穴 ー Supplemental ApplicationとCourse by Course Evaluation (2016年1月回想録)

  この年の正月は何をしたかほとんど覚えていません。お雑煮くらいは作ったような気がするけれど、それすらも定かではありません。表向きには出願に向けて頑張っているけれど、内心はもう疲れ切って息も絶え絶えで、けれど大学院には本当に一刻も早く行きたくて、というごちゃごちゃの気持ちを独りで抱えて、疲れ切っていました。

 

 ニューヨーク大学(NYU)の出願は1月13日、コロンビア大学はその二日後でした。書類の提出は全てサイト上にアップロードするという形式です。まずはNYUに書類を提出。そして一息ついてからコロンビア大学にとりかかりました。縦一列に並んだタブをクリックすると、各書類のアップロード場所が出現するというつくりになっていて、その形式はNYUのものとほぼ同じでした。作業を進めていくうちに、大変なことに気が付きました。 “Supplemental Application”と書かれたタブを発見したのです。押してみると、質問が3つ並んでいます。

 

  1. なぜ同大学院を志望するのですか (2100文字以内)
  2. あなたは今までにどのような対人関係の問題を経験しましたか、そしてその問題をどのように解決しましたか(2100文字以内)
  3. 「みんなカウンセリングを受けるべきだ」という意見についてあなたはどう思いますか(2100文字以内)

 

 私は頭が真白になりました。なんだこれは。バクバクという心臓の鼓動で胸に痛みを感じるほどでしたが、目を凝らして読みました。いずれの質問も十分に時間を掛けて答えるべき重要な内容です。しかも “2100 words”と書かれています。 “words”は “characters”の間違いではないかと思い、目を凝らしますが、はっきりと “words”と書かれています。これは相当な分量で、「ダブルスペースかつ3ページ以内」のエッセイよりも長いです。

 

 こんな質問があったなんて!手を震わせながら、以前プリントアウトした “Application Instruction (出願の手引き)”を繰りました。どこにも “Supplemental Application”なるものがあるとは書かれていません。不親切な手引きに対して憤りを感じる一方で、自分に非があるとも感じていました。手引きをちゃんと読んでいれば大丈夫、と思っていたため、書類をアップロードするためのサイトをざっとしか確認していなかったのです。自分をなじる声が次から次へと浮かんできて、消えて無くなりたくなるほど辛くなりました。

 

 コロンビア大学の出願期限は2回設けられていて、1回目を逃した場合は2回目(4月初旬)までに提出すれば受け付けてもらえるとのことでしたが、人気のあるプログラムのため、1回目の締め切りで提出しなければ合格する確率はかなり低くなります。なんとしてでも1回目の提出に間に合わせたい、と奮い立ち、なんとか回答しようとしますが焦りで集中できません。

 

 焦った気持ちを落ち着けようと、手元にあった出願手引きをなんとなくいじっていると、ふと “course-by-course evaluation”という文字が…なんだっけ、これ…。心臓が凍る想いでした。留学生の場合、学部の英文成績証明書のほかに、米国内の信用評価機関に依頼して、成績を米国式の成績換算方法で評価し直してもらい、 “course-by-course evaluation”という証明書を提出する必要がある、と書いてあります。このことが、すっかり頭から抜け落ちていたのです。NYUではこの証明書は必要とされていませんでしたが、コロンビア大学の手引きにはしっかりと太字で書かれていました。今から証明書を発行するには数週間掛かります。もう1回目の締め切りは諦めるしかありませんでした。

 

 なんて愚かなんだ…自分を責めるが声がどんどん大きく、辛辣になっていきました。2ヶ月間、苦しみながらも頑張ったのに、痛恨のミスで台無しにしてしまったやるせなさ。合格可能性をぐんと下げてしまった悲しみ。それよりも辛く感じたのは、ずっと応援してくれていた夫に申し訳ないという気持ちでした。なんて馬鹿な妻なんだと呆れられないかという恐怖もありました。悔しいよー、悲しいよー、と言って素直に夫の前で泣けたらいいのに、罪悪感と恐怖で心が固く凍りついてしまいました。夫に事の顛末をどう説明したかはっきりと覚えていません。たしか、2回目にはまだ間に合うからそっちで出すことにしたよ〜、となんでもないことのように明るく話したような気がします。もし正直に話したら、夫は残念だったね、と一緒に悲しんでくれたろうし、間違っても私を責めるようなことはなかったでしょう。けれど当時の私は、どうしてもそれを素直に打ち明けることができませんでした。

 

 その後ほとんどやる気が起きないまま、なんとかコロンビア大学の書類を揃えて、2月中旬頃に提出したように記憶しています。

他力本願でスタートしたエッセイ作成(2015年11月回想録)

 履歴書とエッセイの書き方が全く分からなかったので、アゴス・ジャパンの10回コンサルティングパッケージに申し込みました。費用は約30万円かかりましたが、時間も知識もないので仕方ない、と腹をくくりました。今思い返せば安易な考えでしたが、申し込んだ時点で、プロに任せればあとは大丈夫、と安心しきっていました。

 

 コンサルティングは1回50分、私はニューヨークにいるためSkypeで受講しました。第一回目は日本人男性講師とのセッションで、第二回目以降の英語ネイティブ講師とのセッションに向けどのような事前準備をすべきか、といったことを話しました。セッション後、参考書を読みながら見よう見まねで履歴書を作ったほか、エッセイに盛り込めそうなエピソードを思いつくままに箇条書きにして次回に備えました。どちらも英語で作成し、文法も我ながらめちゃくちゃでしたが、プロが直してくれるだろうと気にせずに書きました。

 

 そして迎えた第二回目のコンサルティング。日本・ニューヨーク間の時差があるため、私は出勤前の午前5時に起床して臨みました。本音をいえば、米国大学院卒の先生がよかったのですが、ギリギリに申し込んだので希望の講師は空いておらず、イギリスの名門大学修士課程卒の女性が担当してくださることになりました。先生は、私の箇条書きをみるなり、何も言わずに先頭からどんどん文法を直して、箇条文に接続語を補い、繋げていきます。私は焦りました。私は彼女に、文法のミスを直してもらうのはもちろんですが、なによりもまず、効果的なエッセイにするための文章構成を教えて欲しかったのです。私はただちに先生に、「この箇条書きは単にエッセイに盛り込み得る内容を羅列しただけで、そのまま繋げてほしいわけではない」、「エッセイをパワフルにするための書き方・構成を知りたい」と伝えました。しかし先生はただ “I know. I am working on it.”と言うだけで手を止めません。その後も何度も希望を伝えようとしますが、私は拙い英語のためなのか、全く効果がありませんでした。そうこうする間に50分が経ってしまい、私は茫然としたままこのセッションを終えました。もっと綿密に準備してから臨めばよかったと後悔し、プロにおんぶに抱っこという考えは甘かったと気が付きました。この状況でちゃんと合格するエッセイが仕上がるのか、という不安で胸がいっぱいになりました。

 

 本当は家でエッセイについて悶々と悩みたい気分でしたが、とにかく仕事に行かなければなりません。なんとしてでも受かってやる!という当初の勇ましい気持ちがくすんとしぼんでいきました。まるで、負け戦と知りながら孤軍奮闘する落ちぶれた武士のような気分です。自分の人生にとってこんなに大切なことなのに、他力本願で進めようとした自分を不甲斐なく思いました。

 

 結局コンサルティングは残りの回も全て同じ先生で受け、納得がいかないながらもエッセイが何とか出来上がりました。どうもこの先生との相性が悪い気がしてならず、他の先生にみてもらいたかったのですが、申し込んだ時期が遅すぎたためそれは叶いませんでした。他の先生方のプロフィールを見ながら指をくわえているしかありません。自分でも参考書を読んでなんとか形勢を立て直そうとするけれど、どうもうまくいきません。泣きたいほど悔しくて、本当は全て投げ出してこの年の出願を諦めてしまいたかったほどだったけれど、あの当時の私は夢に向かって全力で進み始めたはずの自分が減速していくことを、かっこわるい、みっともない、と思っていて、認めることができませんでした。夫にも本音を話すことができませんでした。とてもとても辛くて、仕事も、TOEFLの勉強も、エッセイの準備も、全てが億劫になっていきました。

TOEFL100点の壁(2015年11月回想録)

 出願まで計3回TOEFLを受けましたが、結局100点を超えることができませんでした。リーディングは安定して25点を超えるのですが、リスニングは良いときもあればコケるときもある、スピーキングとライティングは安定して低調。

 

 1回目は準備する期間もなかったので、テストの感覚を取り戻すため、とリラックスした気持ちで受けて90点。うん、これならあと2回うければ100点いけるかな、と少し明るい展望が見えました。使った教材は “Barron’s TOEFL iBT”と “The Official Guide to The TOEFL iBT”の2冊です。学部生時代にTOEFLを受けたことが既にあったので、テストの中身や解き方を解説する攻略本の類は必要ありませんでした。紹介した2冊はとにかく練習問題をたくさん解いて実践を積みたい人におすすめです。同書にも解き方ハウツー的なことは書かれていますが、とにかく時間がないので読み飛ばしました。当時は仕事をしていたので、仕事から帰ってTOEFLスピーキングとライティングの問題を解き、翌日通勤の電車内で前日の復習と参考書付属CDでスピーキングの解答例を繰り返し聴くようにしていました。リーディングとリスニングはまあまあのスコアが取れていたので、スピーキングとライティングの得点アップに集中しました。

 

 そうして約2週間後受けた2回目のテスト。全く点数が伸びず、前回と同じ90点。1点も伸びていないことで落胆と焦りが募り、加えて履歴書とエッセイの準備も忙しくなっていき、TOEFLの勉強に身が入らなくなっていきました。勉強のためにしっかりと時間を取って机に向かっても、もう無理じゃないか、という考えが頭によぎり、以前のようには集中できなくなっていました。

 

 結局3回目に受けたテストも90点。

 

【得点内訳】

  • Reading 26
  • Listening 22
  • Speaking 20
  • Writing 22

 

 100点以上という出願条件を満たすことはできなかったけれど、それでもまだ希望を捨てていませんでした。TOEFLのスコアが足りなくてもMBAに受かったという知人やブログの話を心の支えにして、不安な気持ち、悔しい気持ちを見ないようにしていました。とはいえやっぱり心のどこかで、このスコアでは無理じゃないか、という考えもあり、勢いに翳りが見え始めました。

出願まで2ヶ月しかない!(2015年11月回想録)

 2015年11月にメンタルヘルス・カウンセラーになることを決意し(決意した理由等々は後々書きたいと思います)、さっそく情報収集に取り掛かりました。普段は何をするにも行動が遅い私が、夢のためとなればなんたる素早さ!自分で自分に感動しましたが、すぐに問題にぶつかりました。出願締め切りまで、あまりに時間がなかったのです。

 

 私は夫の赴任に伴い一年ほど前からニューヨークに住んでいたため、出願先の大学はニューヨーク内に限られていました。そこでまず調べたのがコロンビア大学ニューヨーク大学 (NYU)の出願情報。どちらの大学も出願締め切りは1月中旬で、この時点で準備期間は2ヶ月ちょっとしかありません。NYUの出願は1月の一回きり、コロンビア大学は1月の締め切りを逃した場合でも4月までを受け付けるとのこと。一年出願を見送ることも考えましたが、できることならば一刻も早くメンタルヘルス・カウンセラーへの一歩を踏み出したい。ニューヨーク市内かつ私が知っている大学という基準で、出願大学をコロンビア大学とNYUの2校に絞り、ダメ元ではなく、本気で受かるつもりで準備を始めました。

 

【必要書類】

  • 履歴書 (Resume/CV)
  • エッセイ (Statement of Purpose/ダブルスペースで3ページ以内)
  • 推薦状2通
  • 成績証明書・卒業証明書
  • TOEFL 100点以上

 

 履歴書とエッセイの書き方は右も左も分からない上に調べる時間も無いので、大学院出願対策向け予備校アゴス・ジャパンに登録。推薦状2通は当時働いていた職場の上司と学部時代の教授にお願い。出願にGREが求められていないところは救いでした。問題となるのはTOEFL100点以上。学部生時代に9ヶ月ほど留学していたので英語は得意な方と自負していたけれど、当時から8年ほど経っていたため100点を超えられる自信が全くありませんでした。出願までにテストを受ける機会はギリギリ3回。全力投球で頑張るんだという心のどこか片隅で、TOEFLのスコアが足りなくても米国のMBAや公共政策大学院に合格したという話をちらほら聞くし、まぁなんとかなるでしょ、という甘えた考えも少しありました。

ブログ開設

 ニューヨークでメンタルヘルス・カウンセラーになることを決意したのは2015年11月のことでした。それは人生で一番嬉しかった瞬間だったかもしれません。約30年間浮き草のように世の中を漂うばかりだった自分がやっと根を下ろせる場所を見つけた、そのときの期待と安堵感を思い出すと今でも胸が熱くなります。

 

 私は2017年9月から、コロンビア大学の大学院でカウンセリング・サイコロジー(Counseling Psychology)を専攻する修士課程に進みます。同プログラムは、メンタルヘルス・カウンセラー(もしくはサイコセラピスト)と呼ばれる専門職を養成する、いわば専門学校です。日本でいうと「臨床心理学」に最も近いように思いますが、日本にはまだ同分野が無い、と言った方が正しいでしょう。

 

 カウンセリング・サイコロジーは約10年ほど前に設立された、米国でも比較的新しい分野です。大学によっては、メンタルヘルス・カウンセリング (Mental Health Counseling)と呼ばれることもあります。日本では馴染みの薄い分野だけに、出願の際の情報収集には苦労をしました。このブログでは、出願プロセスや大学生活のほか、30代女性として諸々思うことを綴っていくつもりです。