大学院留学記 in New York

コロンビア大学の修士課程でメンタルヘルス・カウンセリングを学んでいます。

オリエンテーション

 9月5日、大学院のオリエンテーションに出席しました。ついに大学生活の始まりです。澄み切った青空の下を会場に向かって歩いていると、感慨にふけってしまい涙が出そうになりました。これまでの人生たくさん回り道をしてしまったけれど、やっと本当に自分がやりたいことに向けて一歩を踏み出せる、そう思うと胸がいっぱいになりました。

 

 午前中は生徒全体に向けて、これから始まる学生生活へのアドバイスや激励の言葉といった内容の講演。お昼休みには、サンドイッチやサラダなどのランチが配布されて、校舎の中庭で食べました。中庭には大きな円卓がいくつも設置されており、自由に席について食事をとることができます。私はまだ誰も知り合いがいないので、周りの人たちの会話に入ろうと試みたのですが、会場には大音量で音楽がかかっていて会話するのが難しく、結局黙って辺りを観察するばかりで終わってしまいました。いつも思うことですが、米国では社交の場でたいてい大音量の音楽が流れており、私のような声の通らない人間にとっては周囲とのコミュニケーションが大変困難になってしまいます。それにひきかえ、米国人は声量が大きく、どんな騒音でももろともせずに会話をしているように見えます。私は騒音と孤独に少し疲れてしまいました。

 

 午後は私が在籍するCounseling Psychologyプログラムのオリエンテーションです。会場を見渡すと9割8分くらいが女性。男性はほとんどいません。心理学を専攻する学生に女性が多いのは米国でも日本でも同じだと思います。不思議なのは、教授陣における男女比率は概ね半々だということ。これは、アマチュアとして料理をする人口は女性の方が多いけれど、プロの料理人には男性が多いことと似ています。私が興味を持っている分野の一つCareer Counseling(キャリア・カウンセリング)では、こうした職業選択において心理、文化、性差、差別といったものが与える影響が研究されています。会場を見渡しながら、これからそうした興味深いテーマを学ぶことができると思うと、胸が高鳴りました。

 

 そうこうするうちにプログラムのオリエンテーションが始まり、教授たちが一人ずつ自己紹介を始めました。やはりカウンセリングを教える人たちだけあって、どの教授もとても温かい雰囲気です。続いては諸手続きや重要事項についてのアナウンス。「この期限は絶対に逃してはいけない」「守秘義務を破ったら即退学」といった重要な内容だけに、聞き逃さないように努めるのですが、私の今の英語能力だと85%くらい理解できていて15%くらい「今なんて言った?」という感覚です。大切なことを聞き逃さないようにと神経を尖らせ、また理解できなかった言葉に悶々として、どっと疲れてしまいました。これから始まる学生生活がちょっと不安になっていきます。しかし、オリエンテーションが終わったとき、隣のネイティブスピーカーの学生が「あまりに情報が多くて、すごく疲れちゃった」と漏らしているのを聞いて、ネイディブでも疲れるのだから私も疲れて当然、と開き直った明るい気持ちになりました。

 

 オリエンテーションの後は、生徒一人一人に指導教官が発表され、その研究室を訪れました。私の指導教官は、Career Counselingを研究している教授でした。受験の際に私が提出したStatement of Purpose(エッセイ)に、同教授の研究分野に大変関心があるということを書いていたので、彼が私の指導教官だと知ったときにはとても嬉しかったです。おまけに大らかで、ユーモアがあり、とても温かそうなお人柄です。

 彼を指導教官として割り当てられた他6人の生徒と共に研究室を訪れ、それぞれ自己紹介をしました。私は、学部時代の専攻は国際関係論だったこと、そしてその後、心理と全く関係のない分野で働いてきたことを話しました。すると教授は「それはとても面白い経歴だね!」と身を乗り出し、「古い映画『カサブランカ』の一節 “Of all the gin joints, in all the towns, in all the world, she had to walk into mine.”というのがあるのを知っているかい?」と尋ねました。意味は、「世界中に、そしてこの街中に星の数ほどあるバーの中で、彼女は僕のバーにやって来たんだ」といったところでしょうか。私は『カサブランカ』を観たことがありましたが、残念ながらそのフレーズは全く記憶にありませんでした。

 

 そして教授は「どうして君は、星の数ほどある学問、職業の中からカウンセリングを選んだんだい?」と尋ねました。私はたどたどしい英語で一生懸命答えました。中学生くらいからずっと心理に興味があり、そして大学で心理を専攻したいと思ったけれど、日本では私のやりたい臨床心理を仕事にすることが難しかったので他の専攻を選んだこと、そして大企業に就職したけれどそれは本当にやりたいこととはどこか違うといつも心に引っかかっていたこと、複数の同僚がうつ病で休職・退職する姿を目の当たりにして精神の健康の大切さを実感したこと、夫についてニューヨークに移住し、そこでカウンセラーに出会い、これこそずっと前から本当にやりたかったことだ、と確信したこと、を話しました。

 

「Great!! 自分の人生から学んで、カウンセリングの必要性を切に感じて、模索の末にカウンセリングが本当に自分のやりたいことだと気がつく、それは学部で心理学を専攻することよりずっと大切なレッスンだよ。」

 

 この言葉を聞いたとき、回り道した人生も全く無駄ではなかったんだ、と自分の今までの道のりを肯定できるような気がしました。どんなに苦しく、悲しい経験をしても、その感情に向き合い、癒すことができれば、その経験は同じような状況にいる人の心を深く理解し、助けるための糧になります。カウンセラーにとっては回り道や辛い経験も宝物になる、そうとは頭では分かっていましたが、いざオリエンテーションに参加してみると大半が私より若くて、学部で心理学を専攻してストレートで大学院に進学した人たちばかりだったので、ちょっと肩身が狭いような気持ちになっていまいした。そんなときに教授からかけられた言葉は、その日私が感じていた孤独感や疎外感をすっと癒してくれました。

 

 帰り道は指導教官を同じくする、台湾人のAngelaと「どこに住んでいるの?」「今学期はどのクラスをとった?」なんてたわいのないことを話しながら駅に向かいました。今日一日感じていた緊張や孤独感もほどけて、本当に大学生に戻ったのだなあとしみじみと感じられました。

大学院スタートにつき回想録は少しお休み

 9月5日から大学院がスタートしました。

 

 本当は大学院が始まる前に、出願準備に関する回想録を全て書き終えたかったのですが間に合わなかったので、これからしばらくの間は大学院生活に関する内容を中心にアップすることにします。

 

 大学院に慣れて余裕が出てきた頃に、回想録は再開したいと思います

TOEFLスピーキングとMiss USA(2016年5~6月回想録)

 デイビッドは勉強の合間に、TOEFLスピーキングの練習によく付き合ってくれました。練習内容は、彼が質問を考え、その質問に本番のテスト同様、「15秒間準備、45秒内に回答」もしくは「30秒間準備、60秒内に回答」のどちらかの形式で私が答えるというものです。デイビッドはいい質問を思いつくと口の端を片方だけ上げて、

「準備はいいかい?」

とにやりと笑います。

 

「トランプ候補の移民政策に賛成・反対?」

「子供に進化論を教えない学校があることについてどう思う?」

パレスチナイスラエル問題はどうしたら解決できると思う?」

 

 デイビッドが出す問題は実際のTOEFLよりもかなり答えにくいものばかり。もっと簡単なものにしてくれと抗議すると、テストでは緊張して練習通りの力が発揮できないから、実際より難しいレベルで練習した方がいい、と主張して譲りません。私は四苦八苦しながらもなんとか回答しようとしますが、いつも時間切れになって、主張の根拠部分を言い切ることができません。頭の中では言いたい内容が決まっていても、英語だと口がうまく回らないし、よくどもってしまうし、表現が思いつかなくて止まってしまうし……とてもフラストレーションが溜まります。

 

 しまいに私は悔しくなって、デイビッドに言いました。

 

TOEFLスピーキングって馬鹿げてる!自分の主張とその根拠を45秒で話せなんてシチュエーション、実生活では無いじゃない。こんな勉強、無意味だと思う」

 

 するとデイビッドは、意見を短時間でまとめて簡潔に言い切る能力は、米国社会では必要不可欠な能力で、非常に重視されている、ほら、Miss USA(ミス・ユーエスエー)でさえスピーチ審査があるだろう、と言いました。

 

 Miss USAは毎年6月に行われる全米を対象としたミスコンです。この大会では、水着やドレス姿での見た目の審査ももちろんですが、その中で審査員からの質問に30秒内で答えるというスピーチ審査もあるのです。そしてこの質問の中には、とても答えにくいものも……たとえば「全ての州が同性婚を認めるべきだと思いますか?」「誰かをいじめたことがありますか?」「小さな弟や妹が、コンドームを買ってとせがんできたらどうしますか?」など、政治的なものから、息を飲んで固まってしまいそうな質問も飛び出してきます。

 

 そうは言ってもねー、と納得していない様子の私を見たデイビッドは、Miss USA史上最悪のスピーチをしたとされている2007年サウス・カロライナ州候補者の映像を見せてくれました。

 

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 うーん、確かにこのスピーチは……。けれど仕方がないではありませんか。急に質問をされて、準備の時間もないまま30秒間で話切らなきゃならないなんてあまりに過酷です。おまけに両手を腰に当てて美しくて自信ありげな姿勢を保ちながら、優美な表情も維持して、大勢の観客の前で話すなんて至難の業ではないですか。こんな絵に描いたようなブロンド美女なのだし、スピーチが多少下手でも、挨拶や通常の受け答えができれば問題ないでしょう?と私はサウス・カロライナ州候補者を擁護しました。しかしデイビッドは、こんなスピーチじゃどんなに美しくてもMiss USAには絶対になれない、きちんと主張できなきゃ意味がないんだ、と一貫して厳しく、これほど米国ではスピーチが重視されているのだと繰り返し念を押します。

 

 納得いくような納得いかないような複雑な気持ちを抱えながら、でも郷に入れば郷に従え。米国の大学院に行きたいと決めたのは私です。その社会ではスピーチがこれほど重視されているのだから、いろいろ思うことがあってもやらなきゃ始まらないのです。

 

 Miss USAの映像を観たらなんだか気が軽くなったような気もしました。私はMiss USA候補者たちとは違って、パソコンを前に、マイクに回答をただ吹き込むだけでいいのです。綺麗な表情や姿勢を保つ必要もありません。どんなに青ざめた強張った表情で、口角に泡を溜めながら、猫背で回答したっていいのです。今までとてもじゃないけどできるようになる気がしない、と思っていたTOEFLスピーキングでしたが、少しハードルが下がったような気がしました。

 

 以来、私はデイビッドとスピーキングの練習をするときは、腰に手を当ててしなを作りながら答えるようになりました。目をキリッと見開いて、口元には少し笑みをたたえて。そうするとなんだかちょっと余裕が出て、いつもよりうまく答えられているような気がしてくるから不思議なものです。

 

 ちょうどこの数日後、2016年Miss USAがテレビで中継され、私はスピーチ審査を食い入るように見つめていました。TOEFLスピーキングの練習に明け暮れていた時期だからか、候補者がうまく言えたときにはヨシッ!とガッツポーズを作り、時間切れになったり、うまい主張を展開できないかったときにはがっくりとうなだれ、一緒になって一喜一憂してしまいました。

 

 こちらはこの年にグランプリに輝いたDeshauna Barberさんのスピーチ。米軍従事者である彼女の回答は、自信に満ち溢れた、パワフルなものでした。

 

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 きちんと主張できること、そしてその知性が美しさの一つとして見られるということが、少し分かったような気がしました。

スタディー・バディー(2016年8月回想録)

 私は学部生時代にミシガン大学 (University of Michigan) へ9ヶ月間留学していたことがありました。留学期間終了後日本に帰国した私は、2014年にニューヨークに移り住むまで一度も米国を訪れてはいませんでしたが、メールやスカイプを通して、当時の友達とは連絡を取り合っており、気が付けばかれこれ10年来の仲になっていました。

 

 友人の多くはミシガンに暮らしているため、ニューヨークに移住してからも直接会うことはなかなか叶いませんが、ラッキーなことに、そのうちの一人が自宅から30分の距離に住んでいました。心優しく、豊かな感性を持ち、しかもとても男前のデイビッドです。

 

 デイビッドは生まれも育ちもマンハッタンという生粋のニューヨーカーですが、学部は親元を離れて遠くの大学に行きたいとミシガン大学を選び、卒業後もしばらくミシガンに暮らしていました。経営学を専攻していた彼は、卒業後にはマーケティング会社に就職していましたがキャリアについて悩み、故郷に戻って大学で講師や家庭教師をしながら、本当にやりたいことを模索する日々を過ごしていました。

 

 そんなある日、デイビッドから一本のメールが。医者になることを決意し、これから受験勉強が大変になりそうだというのです。私の近況を報告すると、

 

「なんてグッドタイミング!スタディー・バディー (Study Buddy) になろう!!」

 

という返事がすぐに返ってきました。

 

 こうしてデイビッドと私は一緒に勉強するようになりました。彼は医学部進学に必要なMCATというテストの勉強、私はTOEFLやエッセイの準備に明け暮れました。カフェや図書館、大学のロビーなどで一緒に勉強をし、帰り道には当時流行っていたPokemon Goでモンスターを捕まえては見せ合ったりして、子供の頃の戻ったように楽しく充実した毎日でした。デイビッドはゲイだからなのか、同性の友達といるときのようにくつろげて、気持ちも通じ合っているように感じられ、日本にいる友達への恋しさが少し和らぐようでした。

 

 デイビッドは勉強の合間に、TOEFLスピーキングの練習によく付き合ってくれました。そして、大学の冬休みが始まる12月中旬になって講師の仕事がひと段落したら、エッセイの添削もしてくれると約束してくれました。本当に心強いスタディー・バディーを手に入れて、ますます浪人生活が楽しくなっていきました。

大学院選び(2016年5月回想録)

 退職をして時間がたっぷりできると、心が晴れやかになり、やる気もみなぎり始めました。さあ何から始めよう!ニューヨークの爽やかな5月、毎日が新鮮です。

 

 まずはTOEFLのテストを予約。次回のテストは7月の下旬です。そして次に取り掛かったのは出願する大学院選び。昨年はニューヨーク大学(NYU)とコロンビア大学の2校のみでしたが、今回は合格確率を高めるためにもより多くの大学院に出願したいと考えていました。マンハッタン内を歩いていると私立・公立の大学にちょくちょく出くわすので、たくさん学校がありそうだということは分かっているのですが、網羅的・体系的に把握するにはどうしたらいいか……と悩んでいるときに見つけたのがこの本、 “Insider's Guide to Graduate Programs in Clinical and Counseling Psychology” (Guilford社)。

Insider's Guide to Graduate Programs in Clinical and Counseling Psychology 2016 / 2017 (Insider's Guide to Graduate Programs in Clinical Psychology)

Insider's Guide to Graduate Programs in Clinical and Counseling Psychology 2016 / 2017 (Insider's Guide to Graduate Programs in Clinical Psychology)

 

 この本は、カウンセリング・サイコロジー(Counseling Psychology)またはクリニカル・サイコロジー(Clinical Psychology)の分野に進もうとする人たちにとって必読書といってもいいかもしれません。学校選び、将来のキャリア、エッセイの書き方、教授への面談の申し込み方、面接対策といった出願に伴う各プロセスが、同分野に限定して説明されているのでとても参考になります。またカウンセラーを志す人が疑問に思う諸々のポイントが明快に説明されているのも嬉しい点です。たとえば、修士(M.A.)と博士(Ph.D.)でカウンセラーとしての働き方にどのような違いが出てくるか、カウンセリング・サイコロジーとクリニカル・サイコロジー、クリニカル・ソーシャルワーク(Clinical Social Work)にどのような違いがあるのか、といったことが紹介されています。同著は博士過程進学者向けに書かれているため、私のようにカウンセリング・サイコロジー修士を目指す人にとっては不必要な情報もありますが、私は今回の受験では始めから終わりまで常にこの本を手元に置いて参照していました。

 

 学校選びの際に非常に役立ったのは、同著の巻末についている “Reports on Counseling Psychology Programs”という大学院一覧表です。ここでは全米のカウンセリング・サイコロジー・博士課程プログラムが掲載されており、教授の人数と研究分野、在学生のGPA中央値などが紹介されています。同著はあくまで博士課程進学者向きに書かれているため、博士課程を持たない大学は表に載っていない点には注意が必要です。そこで私はこの表に加えてインターネットでも検索してニューヨーク州内にある大学院をピックアップし、自宅から90分以内で通勤できる、かつGREが必要ない、という条件で7校に絞りました。

 

 本来、大学院選びは自分の興味関心ある分野を研究している教授が何人いるか、といったところを基準にするものなのでしょうが、私の場合は今住んでいる自宅から通える場所という制約があったため、その点を追求することはできませんでした。ただ、カウンセリング・サイコロジー修士過程カリキュラムは、APA (American Psychology Association) という団体が提示する基準に基づいて構成されているため、どの大学院のものでもそれほど大きな差はありません。必修科目はほぼどの大学院も同じで、差が出るとしたら選択科目の種類くらいです。また、各大学院はそれぞれ強みや特色がありますが、それでも私と興味を同じくする教授が皆無ということはいずれの大学院でもなかったので、あまり問題とはしませんでした。GREを必要としないということを基準にするのは何とも軟弱に響きますが、GREを必要としたのは私が検討していた大学院のうち2校に過ぎなかったので、すっぱり諦めることにしました。

 

 7校という数が多いのか少ないのか分かりませんが、今年こそは何としてでも進学したかったので、安全のためもう少し多く出願したいと思っていました。そこで、ソーシャルワーク修士課程プログラムにも2校出願することに決めました。カウンセラーの資格を取るまでに要する期間が最短で、かつ最も私の関心に近い、という理由で、私の第一志望はカウンセリング・サイコロジーでしたが、専攻がソーシャルワークの場合でもカウンセラーの資格を得ることができます。またソーシャルワークの方がプログラムの定員数が大きいため、合格可能性が高いということも魅力です。こうして私は、以下全9校に出願することを決めました。

 

<カウンセリング・サイコロジー

 

ソーシャルワーク

 

 各大学のホームページにいってメーリングリストに登録し、出願に関する情報を受け取ることができるようにしておきました。“Information Session” (学校説明会)開催のお知らせなどを受け取ることができ、後々便利でした。

固定観念の棚卸し。そして退職(2016年4〜5月回想録)

 来年の出願までにあれもしなければ、これもしなければ……と気持ちははやるものの、ちょうど仕事が忙しかった時期だったため、なかなか時間が取れません。繁忙期を過ぎればある程度時間を確保できるようにはなるはずですが、それでもやはり仕事と出願準備の両立は大変そうです。

 

 しかし不可能ではないはずです。ブログでは激務をこなしながら留学された人の話が紹介されていますし、私の大学時代の同級生は米国で駐在員として働きながらパートタイムでMBAにも通っています。私でもできるはず。仕事の合間を縫ってTOEFLの勉強やエッセイの準備を進め、ボランティアは夜間や休日にできるものを探しました。それでもやっぱり時間は足りず、疲労で集中力も切れ、焦りは増すばかりです。

 

 気がつくと私は仕事が楽しめなくなっていました。失礼な話ですが、大切な自分の時間を切り売りしているような感覚に陥ります。そうした状況を見た夫は、いっそ仕事を辞めて出願準備に専念してはどうかと提案してくれました。しかし私は辞める決意ができませんでした。仕事を辞めることを悪いことのように思っていたのです。

 

 その理由をざっくりまとめれば、

 

  1. 夫一人に働かせるのは申し訳ないという想い
  2. 仕事と出願準備の両立をできない自分が情けない
  3. 「苦労=立派」という考えがある

 

 といったところでしょうか。

 

夫に申し訳ない気がする……

 

 自分で働いて稼がなきゃいけない、人に甘えてはいけない、という考えが私の中には強くありました。自分の夢のために仕事を辞めるなんてとても身勝手なことで、夫に対して申し訳ないと思っていました。しかしそれは本当でしょうか。たとえば私が安定した職業に就いていて、夫に追い求めたい夢があるという状況にあったとしたら、私はきっと夫に仕事を辞めてやりたいことをやってみたら、と声を掛けると思います。夫のことを身勝手だとは思わないはずです。しかしどうしてそれが自分のこととなると許せなくなるのでしょうか。

 

自分が情けない……

 

 私は祖母も母も専業主婦という三世代同居の家庭で育ったため、小学生くらいまでは当然私も専業主婦になるのだろうと思っていました。しかし、ちょうど私が大学生になったくらいのときから、大企業で活躍し、家事もきっちりこなすスーパーウーマンたちがメディアで取り上げられ始めました。こうした女性たちの存在は、あんなふうになりたいという励みになる一方で、あんなふうになれるのだろうか……という不安、緊張感を与えるものでもありました。

 

 そうしたスーパーウーマンたち、周りの優秀な友達、頑張っているブロガーたちと自分を比較し、弱音を吐きそうになるたびに自分を戒めてきました。そして彼らができることを自分ができなかったとき、落伍者になったような気持ちになり、こんな自分は世の中で通用しないのではないかという不安に襲われました。仕事から帰って机に向かい、参考書を開いても体が疲れていて何も頭に入らないということが起きるたびに、私は体力のない自分、それを言い訳にしている自分を情けなく思いました。けれど怠けているわけではなく、本当に頑張ろうとしているけれど頭に入ってこないのだから、どうしようもないではありませんか。冷静な頭で考えれば、人それぞれ向き不向き、できることできないこと、体力に差があって当然だと分かってはいました。しかしそれを自分に許してやることができずにいました。

 

苦労をした方がエライ?

 

 「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが、その影響なのか、私はラクするより苦労する方が立派、尊いと考える傾向がありました。しかしそれは本当でしょうか。苦労して大学院に行った方がエライのでしょうか。苦労しなければ大学院に行くことの価値そのものが下がってしまうのでしょうか。そんなことはありません。避けられる苦労は回避した方がスマートです。しかし当時の私は、仕事を辞めて出願準備に専念することを、苦労から逃げて楽な道を選ぶこと、恥ずかしいことだと考えていました。

 

ワクワクできる方に向かって進もう

 

 退職する決意を阻む固定観念を一つ一つ吟味してみると、どれも冷静な頭で考えてみれば捨て去っていいものばかりでした。そうした固定観念にがんじがらめになって、不必要に苦しい想いをして人生を楽しめないなんてもったいない話です。私は将来自分がカウンセラーになって、クライアントが同じような悩みを打ち明けてくれたら、どのようにアドバイスするだろう、と考えてみました。夫がいいと言っているのだから、仕事を辞めても罪悪感を感じる必要ない、感謝をすればいい。周りの人たちが仕事、勉強、家事、育児を両立できているからといって、私もそうしなければならないわけではない、自分が苦しまなくてすむペースで歩めばいい。わざわざイバラの道を進む必要はない、自分が楽しく、元気でいられる道を選べばいい、夫だってイライラ、セカセカした私といるより、楽しそうな私といた方がきっと幸せなはずだ。

 

 これまで生きていく過程でいつの間にか身につけていた固定観念を棚卸ししていくと、心が少しずつ軽くなっていきました。私は18歳のとき一年間浪人生活を送りましたが、そのときは不必要なルールで自分をがんじがらめにして、必要以上に辛い想いをしてしまったような気がします。そこで目標を決めました。今回は楽しく浪人しよう。楽しく浪人して、希望の大学院に合格しよう。そう決めたら心が小さな子供のように弾み始めました。ワクワクできる方に向かって進もう。こうして私はお世話になった会社を退職し、楽しい浪人生活が始まりました。

ひとまず敗因分析(2016年4月回想録)

 出願準備再開の手始めに、まずはなぜ落ちてしまったのかを分析をしました。

 

  1. TOEFLのスコアが足りていない
  2. エッセイのインパクトが薄い
  3. 志望校に関する情報が不足している
  4. カウンセリングの分野での経験が皆無
  5. 推薦状を同分野に従事する人からもらえていない
  6. 出願先を絞り込みすぎた

 

 TOEFLのスコアが足りていない

 

 コロンビア大学からは、「スコアが100点を超えていないので審査を進められない」というメールを受け取りました。他分野の大学院留学を経験した知人やブログの話によると、スコアが条件を満たしていなくても合格できたという例もあるようですが、メンタルヘルス・カウンセリングではそうはいかないようです。カウンセラーになるには、クライアントとのコミュニケーションが欠かせません。また病院などで働く場合には、医師や他カウンセラーと共有するために、症状について詳細なレポートを書く必要があります。そうした背景を考えれば、英語の能力が重視されるのもうなずけます。昨年はTOEFLを全部で3回受けましたが、いずれの回も90点。勉強の成果が全く現れませんでした。そのことがトラウマになっている一方で、時間をかければなんとかなりそうという楽観もありました。

 

エッセイが弱い

 

 これは本当に頭が痛い。提出したエッセイは、自分で読んでいても最後まで読むのが億劫になってしまうような退屈さ。前回のエッセイは他力本願で進めてしまった結果、望むものが出来上がらずに大変悔しい思いをしました。今回はとにかく自分でできる限り仕上げようと心に誓います。米国内で売られているエッセイの参考書を数冊買って読んでみると、例として挙げられているエッセイはどれもハートを揺さぶるような情熱溢れるものばかり。どうやったらあんなエッセイが書けるようになるのか、皆目見当がつきません……とにかく不安です。

 

志望校に関する情報が不足

 

 前回は準備期間が短かったため、日程の合う大学説明会を見つけて参加することができませんでした。今年は説明会に参加して、より多くの情報を収集したいものです。また各大学の教授の論文を読んでみるのもよさそうです。参考書に載っているエッセイのほとんどには、「私はXX教授の研究論文を読んで感銘を受けました。ぜひメンターになっていただきたいと考えています」という内容が盛り込まれていました。自分がどの分野に興味があって、どの教授のもとで学びたいのか、を明確にすることで、エッセイをパワーアップさせることができそうです。

 

カウンセリングの分野で経験がない

 

 私の学部生時代の専攻も、これまでのキャリアも、全くカウンセリングとは関係がありませんでした。これがもしかすると一番の敗因だったのかもしれないということに、この年の9月に大学説明会に参加した際に気が付きます。どの大学の説明会でも、Admission Office (入学手続き課)職員も、教授も、皆口を揃えて「経験がない人には、カウンセリングの分野でボランティアをすることを強く推奨します」と話していました。この「強く推奨する」という部分は、実際には英語で “highly recommend” と話されていたのですが、この表現はほとんど “must” と同じくらいの強い意味を持ちます。なぜここまでボランティアを推奨するかといえば、経験なしでこの分野に飛び込んで、途中で辞退してしまう人が多いことが理由のようです。人の深い悲しみや怒りに寄り添うこと、精神障害を抱える人と真摯に向き合うことは想像以上にパワーを要することです。そうした人々を支えるということがどういうことなのかを少しも知らずに足を踏み入れて、打ちのめされてしまう学生を見るのは、大学側にとっても辛いことなのでしょう。これはボランティアをしないわけにはいきません。ボランティアをすれば、その分野での経験を積んで自信をつけられるだけでなく、ボランティア先の上司に推薦状を書いてもらえる、履歴書とエッセイに書ける、という大きなメリットもあります。

 

推薦状をカウンセリングの分野に従事する人からもらえていない

 

 私は学部生時代の教授と職場の上司から推薦状をもらいましたが、やはりその分野で活躍する人からもらうのが一番です。今回はボランティア先の上司にお願いするつもりです。

 

出願先2校は少なすぎた

 

 後に説明会に参加して知りますが、メンタルヘルス・カウンセリングは今とても人気が高い分野のようです。そして、10年ほど前にできた比較的新しい分野のため教授の数が少なく、よって定員がとても少ない。たとえばニューヨーク大学(NYU)の場合、定員50名のところに約600名が応募するそうです。これはもう少し志望校を増やした方がよさそうです。ニューヨーク市内にはNYUとコロンビア大学の他にも、私立・公立の大学がたくさんあります。早くリサーチを進めて、志望校を固めたいものです。

 

 こうして前回の敗因と、今回は何をすべきか、を整理していくと、次の出願までに9ヶ月弱しかないことに焦りを感じ始めました。焦りは募る一方ですが、仕事はどんどん忙しくなっていく……どうしたものか……。