大学院留学記 in New York

コロンビア大学の修士課程でメンタルヘルス・カウンセリングを学んでいます。

不合格の通知(2016年3月回想録)

 出願書類を提出してからはなるべく大学院のことを考えないようにして過ごしていました。たぶん落ちたろうなあ、と思っていました。それなら来年の受験に向けて始動すればよさそうなものですが、そんなふうには体も心も動きませんでした。会社では新しいプロジェクトが立ち上がったりもして刺激があったので、そちらの方で気持ちを紛らわせていました。ネットで検索すれば、大体いつくらいに、どのような形式で(メール/郵便/電話)、結果が通知されるかくらい調べられますが、私にはその気力すら残っていませんでした。

 

 3月18日金曜日の会社帰り、プラットホームで電車を待っているとき、手持ち無沙汰でなんとなくメールを開きました。件名欄に “NYU Application Status”の文字。ニューヨーク大学(NYU)からの結果通知です。目が泳いでしまい、文章を上から読むことができませんでしたが、すぐに “It is with regret…” “cannot offer…” “our decision may be disappointing”というネガティブな言葉ばかりが目に飛び込んできます。ああ、終わったんだなあ。心が真空状態になって、何も感じることができず、しばらくぼんやりと立っていましたが、プラットホームに電車が近づき、辺りが騒音に包まれたとき、夫の顔が浮かんでつと涙がこぼれました。ごめんね、私ならできるって本気で信じて、本気で応援してくれてたのに…。車内に席を見つけて座り、束ねていた髪をほどいてうつむきました。涙は止まらなくなり、鼻水まで出てくるけれど、ハンカチを持っていなかったので本当に困ってしまいます。

 

 この感覚、なんかどこかで経験したなあ…。それは大学受験に失敗した、私が18歳のときのことでした。合格発表当日、母に伴われて掲示板を見に行きました。人ごみをかき分けて一生懸命自分の受験番号を探すけれど見つかりません。ごめんね、こんなに応援してくれたのに......ショックのあまり言葉にできませんでしたが、私が一番に思ったのは、応援してくれた母に申し訳ないということ。もう母の顔を見ることができず、私は独りで帰宅しました。

 

 今振り返ると、2年前の私、高校生だった私が不憫でなりません。ものすごく努力したのに不合格で、一番傷ついたのは私自身のはずなのに、その気持ちを抱きしめ、癒してやることができませんでした。自分のことを大切な存在だと思えていなかったから、いつも自分を二の次にしてしまい、周りの人のことばかり気にしてしまっていたのです。日本では「自分のことより周りの人を優先する」ということが美徳のように語られることがありますが(以前の私もそう思っていました)、心理について少し学んだ今は、それがとても人を生き辛くする発想だということに気が付きました。きちんと自分の悲しみに向き合ってやらなければ、その悲しみは癒えることなく、澱のように静かに蓄積していきます。それがあるとき限界を超えると、最愛の人に怒りというかたちでぶちまけてしまったり、心身の不調として表に出て来てしまい、楽しい毎日を送れなくなってしまうのです。自分をまず大切にしたら自ずと周りの人も大切にできるはず。「自分が大切」が、しなやかで美しい心のもち方だと今の私は考えています。

 

 話がだいぶそれてしまいましたが、こうして私の1年目の受験は幕を閉じました。まだコロンビア大学からは通知が来てませんでしたが、落ちていることを確信していました。第一回目の締め切りに間に合わせることができなかった上、supplemental applicationはネイティブのチェックも受けずに提出してしまったためです(下記添付の過去記事 "出願プロセスの落とし穴"参照)。数日後、同校から「TOEFLのスコアが100点を超えていないので、これ以上先の審査を進めることができません」という内容のメールが届きました。

 

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