大学院留学記 in New York

コロンビア大学の修士課程でメンタルヘルス・カウンセリングを学んでいます。

オリエンテーション

 9月5日、大学院のオリエンテーションに出席しました。ついに大学生活の始まりです。澄み切った青空の下を会場に向かって歩いていると、感慨にふけってしまい涙が出そうになりました。これまでの人生たくさん回り道をしてしまったけれど、やっと本当に自分がやりたいことに向けて一歩を踏み出せる、そう思うと胸がいっぱいになりました。

 

 午前中は生徒全体に向けて、これから始まる学生生活へのアドバイスや激励の言葉といった内容の講演。お昼休みには、サンドイッチやサラダなどのランチが配布されて、校舎の中庭で食べました。中庭には大きな円卓がいくつも設置されており、自由に席について食事をとることができます。私はまだ誰も知り合いがいないので、周りの人たちの会話に入ろうと試みたのですが、会場には大音量で音楽がかかっていて会話するのが難しく、結局黙って辺りを観察するばかりで終わってしまいました。いつも思うことですが、米国では社交の場でたいてい大音量の音楽が流れており、私のような声の通らない人間にとっては周囲とのコミュニケーションが大変困難になってしまいます。それにひきかえ、米国人は声量が大きく、どんな騒音でももろともせずに会話をしているように見えます。私は騒音と孤独に少し疲れてしまいました。

 

 午後は私が在籍するCounseling Psychologyプログラムのオリエンテーションです。会場を見渡すと9割8分くらいが女性。男性はほとんどいません。心理学を専攻する学生に女性が多いのは米国でも日本でも同じだと思います。不思議なのは、教授陣における男女比率は概ね半々だということ。これは、アマチュアとして料理をする人口は女性の方が多いけれど、プロの料理人には男性が多いことと似ています。私が興味を持っている分野の一つCareer Counseling(キャリア・カウンセリング)では、こうした職業選択において心理、文化、性差、差別といったものが与える影響が研究されています。会場を見渡しながら、これからそうした興味深いテーマを学ぶことができると思うと、胸が高鳴りました。

 

 そうこうするうちにプログラムのオリエンテーションが始まり、教授たちが一人ずつ自己紹介を始めました。やはりカウンセリングを教える人たちだけあって、どの教授もとても温かい雰囲気です。続いては諸手続きや重要事項についてのアナウンス。「この期限は絶対に逃してはいけない」「守秘義務を破ったら即退学」といった重要な内容だけに、聞き逃さないように努めるのですが、私の今の英語能力だと85%くらい理解できていて15%くらい「今なんて言った?」という感覚です。大切なことを聞き逃さないようにと神経を尖らせ、また理解できなかった言葉に悶々として、どっと疲れてしまいました。これから始まる学生生活がちょっと不安になっていきます。しかし、オリエンテーションが終わったとき、隣のネイティブスピーカーの学生が「あまりに情報が多くて、すごく疲れちゃった」と漏らしているのを聞いて、ネイディブでも疲れるのだから私も疲れて当然、と開き直った明るい気持ちになりました。

 

 オリエンテーションの後は、生徒一人一人に指導教官が発表され、その研究室を訪れました。私の指導教官は、Career Counselingを研究している教授でした。受験の際に私が提出したStatement of Purpose(エッセイ)に、同教授の研究分野に大変関心があるということを書いていたので、彼が私の指導教官だと知ったときにはとても嬉しかったです。おまけに大らかで、ユーモアがあり、とても温かそうなお人柄です。

 彼を指導教官として割り当てられた他6人の生徒と共に研究室を訪れ、それぞれ自己紹介をしました。私は、学部時代の専攻は国際関係論だったこと、そしてその後、心理と全く関係のない分野で働いてきたことを話しました。すると教授は「それはとても面白い経歴だね!」と身を乗り出し、「古い映画『カサブランカ』の一節 “Of all the gin joints, in all the towns, in all the world, she had to walk into mine.”というのがあるのを知っているかい?」と尋ねました。意味は、「世界中に、そしてこの街中に星の数ほどあるバーの中で、彼女は僕のバーにやって来たんだ」といったところでしょうか。私は『カサブランカ』を観たことがありましたが、残念ながらそのフレーズは全く記憶にありませんでした。

 

 そして教授は「どうして君は、星の数ほどある学問、職業の中からカウンセリングを選んだんだい?」と尋ねました。私はたどたどしい英語で一生懸命答えました。中学生くらいからずっと心理に興味があり、そして大学で心理を専攻したいと思ったけれど、日本では私のやりたい臨床心理を仕事にすることが難しかったので他の専攻を選んだこと、そして大企業に就職したけれどそれは本当にやりたいこととはどこか違うといつも心に引っかかっていたこと、複数の同僚がうつ病で休職・退職する姿を目の当たりにして精神の健康の大切さを実感したこと、夫についてニューヨークに移住し、そこでカウンセラーに出会い、これこそずっと前から本当にやりたかったことだ、と確信したこと、を話しました。

 

「Great!! 自分の人生から学んで、カウンセリングの必要性を切に感じて、模索の末にカウンセリングが本当に自分のやりたいことだと気がつく、それは学部で心理学を専攻することよりずっと大切なレッスンだよ。」

 

 この言葉を聞いたとき、回り道した人生も全く無駄ではなかったんだ、と自分の今までの道のりを肯定できるような気がしました。どんなに苦しく、悲しい経験をしても、その感情に向き合い、癒すことができれば、その経験は同じような状況にいる人の心を深く理解し、助けるための糧になります。カウンセラーにとっては回り道や辛い経験も宝物になる、そうとは頭では分かっていましたが、いざオリエンテーションに参加してみると大半が私より若くて、学部で心理学を専攻してストレートで大学院に進学した人たちばかりだったので、ちょっと肩身が狭いような気持ちになっていまいした。そんなときに教授からかけられた言葉は、その日私が感じていた孤独感や疎外感をすっと癒してくれました。

 

 帰り道は指導教官を同じくする、台湾人のAngelaと「どこに住んでいるの?」「今学期はどのクラスをとった?」なんてたわいのないことを話しながら駅に向かいました。今日一日感じていた緊張や孤独感もほどけて、本当に大学生に戻ったのだなあとしみじみと感じられました。