大学院留学記 in New York

コロンビア大学の修士課程でメンタルヘルス・カウンセリングを学んでいます。

固定観念の棚卸し。そして退職(2016年4〜5月回想録)

 来年の出願までにあれもしなければ、これもしなければ……と気持ちははやるものの、ちょうど仕事が忙しかった時期だったため、なかなか時間が取れません。繁忙期を過ぎればある程度時間を確保できるようにはなるはずですが、それでもやはり仕事と出願準備の両立は大変そうです。

 

 しかし不可能ではないはずです。ブログでは激務をこなしながら留学された人の話が紹介されていますし、私の大学時代の同級生は米国で駐在員として働きながらパートタイムでMBAにも通っています。私でもできるはず。仕事の合間を縫ってTOEFLの勉強やエッセイの準備を進め、ボランティアは夜間や休日にできるものを探しました。それでもやっぱり時間は足りず、疲労で集中力も切れ、焦りは増すばかりです。

 

 気がつくと私は仕事が楽しめなくなっていました。失礼な話ですが、大切な自分の時間を切り売りしているような感覚に陥ります。そうした状況を見た夫は、いっそ仕事を辞めて出願準備に専念してはどうかと提案してくれました。しかし私は辞める決意ができませんでした。仕事を辞めることを悪いことのように思っていたのです。

 

 その理由をざっくりまとめれば、

 

  1. 夫一人に働かせるのは申し訳ないという想い
  2. 仕事と出願準備の両立をできない自分が情けない
  3. 「苦労=立派」という考えがある

 

 といったところでしょうか。

 

夫に申し訳ない気がする……

 

 自分で働いて稼がなきゃいけない、人に甘えてはいけない、という考えが私の中には強くありました。自分の夢のために仕事を辞めるなんてとても身勝手なことで、夫に対して申し訳ないと思っていました。しかしそれは本当でしょうか。たとえば私が安定した職業に就いていて、夫に追い求めたい夢があるという状況にあったとしたら、私はきっと夫に仕事を辞めてやりたいことをやってみたら、と声を掛けると思います。夫のことを身勝手だとは思わないはずです。しかしどうしてそれが自分のこととなると許せなくなるのでしょうか。

 

自分が情けない……

 

 私は祖母も母も専業主婦という三世代同居の家庭で育ったため、小学生くらいまでは当然私も専業主婦になるのだろうと思っていました。しかし、ちょうど私が大学生になったくらいのときから、大企業で活躍し、家事もきっちりこなすスーパーウーマンたちがメディアで取り上げられ始めました。こうした女性たちの存在は、あんなふうになりたいという励みになる一方で、あんなふうになれるのだろうか……という不安、緊張感を与えるものでもありました。

 

 そうしたスーパーウーマンたち、周りの優秀な友達、頑張っているブロガーたちと自分を比較し、弱音を吐きそうになるたびに自分を戒めてきました。そして彼らができることを自分ができなかったとき、落伍者になったような気持ちになり、こんな自分は世の中で通用しないのではないかという不安に襲われました。仕事から帰って机に向かい、参考書を開いても体が疲れていて何も頭に入らないということが起きるたびに、私は体力のない自分、それを言い訳にしている自分を情けなく思いました。けれど怠けているわけではなく、本当に頑張ろうとしているけれど頭に入ってこないのだから、どうしようもないではありませんか。冷静な頭で考えれば、人それぞれ向き不向き、できることできないこと、体力に差があって当然だと分かってはいました。しかしそれを自分に許してやることができずにいました。

 

苦労をした方がエライ?

 

 「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが、その影響なのか、私はラクするより苦労する方が立派、尊いと考える傾向がありました。しかしそれは本当でしょうか。苦労して大学院に行った方がエライのでしょうか。苦労しなければ大学院に行くことの価値そのものが下がってしまうのでしょうか。そんなことはありません。避けられる苦労は回避した方がスマートです。しかし当時の私は、仕事を辞めて出願準備に専念することを、苦労から逃げて楽な道を選ぶこと、恥ずかしいことだと考えていました。

 

ワクワクできる方に向かって進もう

 

 退職する決意を阻む固定観念を一つ一つ吟味してみると、どれも冷静な頭で考えてみれば捨て去っていいものばかりでした。そうした固定観念にがんじがらめになって、不必要に苦しい想いをして人生を楽しめないなんてもったいない話です。私は将来自分がカウンセラーになって、クライアントが同じような悩みを打ち明けてくれたら、どのようにアドバイスするだろう、と考えてみました。夫がいいと言っているのだから、仕事を辞めても罪悪感を感じる必要ない、感謝をすればいい。周りの人たちが仕事、勉強、家事、育児を両立できているからといって、私もそうしなければならないわけではない、自分が苦しまなくてすむペースで歩めばいい。わざわざイバラの道を進む必要はない、自分が楽しく、元気でいられる道を選べばいい、夫だってイライラ、セカセカした私といるより、楽しそうな私といた方がきっと幸せなはずだ。

 

 これまで生きていく過程でいつの間にか身につけていた固定観念を棚卸ししていくと、心が少しずつ軽くなっていきました。私は18歳のとき一年間浪人生活を送りましたが、そのときは不必要なルールで自分をがんじがらめにして、必要以上に辛い想いをしてしまったような気がします。そこで目標を決めました。今回は楽しく浪人しよう。楽しく浪人して、希望の大学院に合格しよう。そう決めたら心が小さな子供のように弾み始めました。ワクワクできる方に向かって進もう。こうして私はお世話になった会社を退職し、楽しい浪人生活が始まりました。