大学院留学記 in New York

コロンビア大学の修士課程でメンタルヘルス・カウンセリングを学んでいます。

出願プロセスの落とし穴 ー Supplemental ApplicationとCourse by Course Evaluation (2016年1月回想録)

  この年の正月は何をしたかほとんど覚えていません。お雑煮くらいは作ったような気がするけれど、それすらも定かではありません。表向きには出願に向けて頑張っているけれど、内心はもう疲れ切って息も絶え絶えで、けれど大学院には本当に一刻も早く行きたくて、というごちゃごちゃの気持ちを独りで抱えて、疲れ切っていました。

 

 ニューヨーク大学(NYU)の出願は1月13日、コロンビア大学はその二日後でした。書類の提出は全てサイト上にアップロードするという形式です。まずはNYUに書類を提出。そして一息ついてからコロンビア大学にとりかかりました。縦一列に並んだタブをクリックすると、各書類のアップロード場所が出現するというつくりになっていて、その形式はNYUのものとほぼ同じでした。作業を進めていくうちに、大変なことに気が付きました。 “Supplemental Application”と書かれたタブを発見したのです。押してみると、質問が3つ並んでいます。

 

  1. なぜ同大学院を志望するのですか (2100文字以内)
  2. あなたは今までにどのような対人関係の問題を経験しましたか、そしてその問題をどのように解決しましたか(2100文字以内)
  3. 「みんなカウンセリングを受けるべきだ」という意見についてあなたはどう思いますか(2100文字以内)

 

 私は頭が真白になりました。なんだこれは。バクバクという心臓の鼓動で胸に痛みを感じるほどでしたが、目を凝らして読みました。いずれの質問も十分に時間を掛けて答えるべき重要な内容です。しかも “2100 words”と書かれています。 “words”は “characters”の間違いではないかと思い、目を凝らしますが、はっきりと “words”と書かれています。これは相当な分量で、「ダブルスペースかつ3ページ以内」のエッセイよりも長いです。

 

 こんな質問があったなんて!手を震わせながら、以前プリントアウトした “Application Instruction (出願の手引き)”を繰りました。どこにも “Supplemental Application”なるものがあるとは書かれていません。不親切な手引きに対して憤りを感じる一方で、自分に非があるとも感じていました。手引きをちゃんと読んでいれば大丈夫、と思っていたため、書類をアップロードするためのサイトをざっとしか確認していなかったのです。自分をなじる声が次から次へと浮かんできて、消えて無くなりたくなるほど辛くなりました。

 

 コロンビア大学の出願期限は2回設けられていて、1回目を逃した場合は2回目(4月初旬)までに提出すれば受け付けてもらえるとのことでしたが、人気のあるプログラムのため、1回目の締め切りで提出しなければ合格する確率はかなり低くなります。なんとしてでも1回目の提出に間に合わせたい、と奮い立ち、なんとか回答しようとしますが焦りで集中できません。

 

 焦った気持ちを落ち着けようと、手元にあった出願手引きをなんとなくいじっていると、ふと “course-by-course evaluation”という文字が…なんだっけ、これ…。心臓が凍る想いでした。留学生の場合、学部の英文成績証明書のほかに、米国内の信用評価機関に依頼して、成績を米国式の成績換算方法で評価し直してもらい、 “course-by-course evaluation”という証明書を提出する必要がある、と書いてあります。このことが、すっかり頭から抜け落ちていたのです。NYUではこの証明書は必要とされていませんでしたが、コロンビア大学の手引きにはしっかりと太字で書かれていました。今から証明書を発行するには数週間掛かります。もう1回目の締め切りは諦めるしかありませんでした。

 

 なんて愚かなんだ…自分を責めるが声がどんどん大きく、辛辣になっていきました。2ヶ月間、苦しみながらも頑張ったのに、痛恨のミスで台無しにしてしまったやるせなさ。合格可能性をぐんと下げてしまった悲しみ。それよりも辛く感じたのは、ずっと応援してくれていた夫に申し訳ないという気持ちでした。なんて馬鹿な妻なんだと呆れられないかという恐怖もありました。悔しいよー、悲しいよー、と言って素直に夫の前で泣けたらいいのに、罪悪感と恐怖で心が固く凍りついてしまいました。夫に事の顛末をどう説明したかはっきりと覚えていません。たしか、2回目にはまだ間に合うからそっちで出すことにしたよ〜、となんでもないことのように明るく話したような気がします。もし正直に話したら、夫は残念だったね、と一緒に悲しんでくれたろうし、間違っても私を責めるようなことはなかったでしょう。けれど当時の私は、どうしてもそれを素直に打ち明けることができませんでした。

 

 その後ほとんどやる気が起きないまま、なんとかコロンビア大学の書類を揃えて、2月中旬頃に提出したように記憶しています。